朝美絢は大沢たかおさんだった話(小説「地下鉄に乗って」を読んで)
小説「地下鉄に乗って」のネタバレ大いにあります。


約20年くらい前に講談社より文庫化されたときに読んで、歴史音痴の私は進駐軍だとか、戦後の闇市のあたりであまりよくわからなくなって
最後まで読み終わらずに放ってあったのか読んだのにすっかり忘れてしまっていたかのどちらかで、
本棚の奥に自分が持っていることさえ忘れてしまってあったのを今朝引きずり出し、
土曜日なので一気に読み終えてしまいました。(一日一冊本を読まれる浅田先生に少し近づけたぞ!)

映画を見ているので、大沢さん、堤真一さん、常盤貴子さん、岡本綾さんが出てくることにワクワクしながら一気に読みました。
やはり映画と言えども原作とは異なります。
「壬生義士伝」はあれを忠実に再現して映画化、舞台化は絶対無理ですが、「地下鉄に乗って」の映画はかなり忠実に再現されていました。
映画は大沢さん演じる小沼佐吉の若いころの本当の姿を過去にさかのぼっていて見て、
父に対する誤解がとけていく。真次は「小沼昭一は幸せでした!」と言ったり
父の病床にお見舞いに行ったりします。しかし、原作は違います。
勿論時代背景はセットがあるのでそれで忠実に再現して、その時代の苦労も描きながら…。でした。
しかし、小説は単純に小沼佐吉への誤解を解くのではなく、その時代を必死で生きた父の生きざま、戦前、戦中、戦後、昭和39年と、その時代の
人々の苦しみや繁栄も描きながら、また私は関西人で全く東京メトロが分からないのですが、東京メトロの進化も踏まえて、
単に小沼佐吉の生きざまだけでなく時代も描かれていて、「これはサブウエイでもアンダーグラウンドでもメトロでもない。
昭和2年からまっすぐに東京の闇を駆け抜けてきた『地下鉄』なのだと真次は思った。
『ちかてつ』と胸の中にひらがなで書くと、おとぎ話のマッチのように哀しく暖かい灯が心にともった」とあります。素晴らしすぎます。

映画にはない場面が四つあります。
ひとつは小沼佐吉が持って行った「千人針」の最後のひと針を打ったのがデザイナーなのでお裁縫の得意なみち子だったこと。
そして、もう一つは戦前のモボ・モガの時代に貧しかった少年時代に父親が前借したお金のために、
奉公に出た小沼佐吉がつぶれた足のマメをみち子に手当手してもらい
抱きしめられ…泣き。それでも苦しみながらも長距離を重い荷物を背負って…
自分が稼いで父や義理の母を食わせてやると言います。
実際に小沼佐吉は両親のために盛大な葬式を出しました。
あと、映画では砂糖をドルで買う話でしたが、佐吉は両替商のようなことをしていて
アメリカの軍人を相手にする娼婦などが持っているドルを円に換えてやり、
替えたドルでカメラなどの高級品を買う商売をしていて真次も熱狂的に(面白がって)それを手伝います。
そこで、敵の目を欺くためですが真次とお時のキスシーンがあります。
そのシーンで長いキスのあとお時は青ざめ、真次を突き放してに「あんた誰なのよ?」と言うのです。
きっと、キスの仕方が…アムールつまり小沼佐吉そっくりなのでは?と私は勝手に解釈しています。
みち子とのラブシーンはありません。お風呂の水を張って「抱いてね」の一言だけ。
もちろん愛し合っていて最後にはそうと知らず真次はプロポーズもしますが。
そして、後半のお時が経営するAmorというカフェの場面の
佐吉の印象的なセリフ…。
「宝石みたいに生まれてきやがってよ…親の顔見りゃ笑いやがる。十分じゃねーか」
大沢さんが涙と鼻水でぐしょぐしょになりながら言うセリフ。
あれは原作にはありません。
ただ、本当に子供は幼いころに親に向ける笑顔…それだけで一生分の親孝行をしていると言います。


戦前の足にまめを作って血を流しながら歩く少年小沼佐吉に「地下鉄好きなの?」みち子は聞きます。
「うん、内緒だけど、近いうちに浅草まで行ってやろうと思ってるんだ。
ほらそこの尾張町の十文字から乗って」と、少年はひときわ明るい四丁目の交差点を指さした。
「三越に寄って、神田の地下鉄ストアにも。それから広小路で松坂屋を覗いて、
上野の地下鉄食堂でライスカレーを食って、浅草で活動を見るんだ。ずっとメトロに乗っていくんだ」
出征の時に初めてメトロに乗った佐吉。この夢は叶わなかったわけです。
『浅田先生の作品に出てくる少年』という共通点だけと言われればそれまでですが
希望を忘れない。親孝行をすると心に決め実際…頂点を極めているところが、
決してあきらめないところ、そしてすごく頭のいい子であることなどが
宝塚歌劇団で上演された「蒼穹の昴」の春児と重なって、佐吉には愛人がいたり後妻さんがいたりはしますが
(大沢さんはそこが理解できないと何かでおっしゃっていましたが)春児(朝美絢)は小沼佐吉(大沢たかお)なんだなぁと…。
春児は宦官だけにもっともっとピュアではありますが。(ピュアでない宦官がほとんどみたいですが)


この映画が素敵なところはほとんど原作とセリフを変えていないところです。
宝塚歌劇の「ベルばら」などはもう「誰がそんなこと言った?」レベルに原作無視なのですが、
ポイントポイントのセリフを見事に再現していて…そのセリフをまた大沢さんはじめ俳優さん女優さんたちが
見事に原作のイメージ通りに再現しておられるんです。
佐吉は、出征するときに真次に予言のように「君は満州へ行く」と言われるんです。
そのあと佐吉は「満州、満州」って二度繰り返すその自分に言い聞かせるような言い方がすごく私は気に入っていて、
「原作はどうなんだろう?」と思うとやはり同じように
「満州、満州」と二度繰り返していて…。すごい脚本家さん、俳優さんだなぁ…と惚れ直すばかりでした。

アムール(佐吉)のセリフで、「なんだよ旦那。昨夜二階から煙みてえに消えちまって、随分心配してたんだぜ。
旦那ばかりじゃねえよ。折角もらい下げてきたべっぴん(みち子)だって、
ふっとどこかに消えちまうし…」このセリフも映画の大沢さん上手くて大好きだったんです。
そのあとの「サンキューベリマッチ」も、ちゃんと小説通りでした。

そして…最初と最後に出てくるあの不気味な老人。あの人は真次たちの書道の先生で…
実は佐吉が満州で守った先生と生徒たち(女子供)の先生だったんです。
今は、ホスピスにいて死を目前にした患者は自由に外出することを許されていて、
時々メトロに乗りに来るのです。(私は幽霊だとばかり思っていました)

あと…みち子には真次は指輪など贈っていなくて…真次のポケットに入っていたのは、
お時(みち子の母)が佐吉から贈られたルビーの指輪でした。
「見知らぬ指輪をこぶしに握りしめて闇に眼を据えると、体のうちに忘れかけていた勇気が湧いた」とあります。

そして…小沼佐吉の生涯を象徴するような地下鉄車両の説明のエンディングが続き…。

「そうだ…メトロに乗っていこう」で終わります。

最後に…星の数ほどいる俳優さんの中から、小沼佐吉に大沢たかおさんを選ばれた監督さんでしょうか・キャスティングの方でしょうか?に、大感謝です。
やはり小沼佐吉は「体が大きな男性」だったようです。あと…真次が佐吉にそっくりなんだそうですが…さすがにそれは…無理ですね。
常盤貴子さんは小説のイメージ通りでしたが、岡本綾さんは映画ではすごくいい味出していましたが、
小説はもう少しシャープなできる女のイメージでした。

私のように戦前戦中戦後の歴史に弱い人は、映画をご覧になってから小説を読まれることをお勧めいたします。
今更ですが、浅田次郎先生の時代考証の素晴らしさは、「本当に先生はいろんな国のいろんな時代にタイムスリップしておられるんじゃ?」と
思います。小説を一作書かれるための参考資料はきっと何千冊何万冊にも及ぶのでしょう。

それにしても名作というのは何故東京が舞台なんでしょう?
                                                          2024年4月7日 Emi